はい、人生は運ゲーです。
生まれも容姿も運動神経も学力も、遺伝や生まれに左右されるので全く持って平等じゃない。
しかし、もっと楽に生きる方法はあると思う。
そんなことを考えていきます。
①運要素を楽しめるくらいの余裕をもとう
②思考は自由なので、せめて思考は何にも縛られないようにする
③運ゲーだとしても、人との関わり(因果関係)は大切にする
④運ゲーを受け入れたほうが、苦しみが少なくて済む
⑤クソな人生に意味を持たせるのは自分自身
⑥ゲームのルールを書き換える
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マックのバイトでも賃金差は3倍
2023年の話になりますが、
日本:992円
に対して
カリフォルニア州:3140円
が最低賃金になります。
我々の側からすると、「いやいや、もはや最低賃金とは…」ってなりません?
マジメに働くのが馬鹿らしくなってきますよね。
▼参考
米西部カリフォルニア州で9月、ファストフード店員の最低賃金が、現行の時給15ドル(約2,140円)から最大22ドル(約3,140円)まで引き上げ可能となる法律が成立した。マクドナルド店員の時給が3,000円超とは、驚く人も多いだろう。
https://moneytimes.jp/archives/162904
人生は運ゲーだと受け入れる
人生、諦めることも時には大切です。
まずは上記のマックの時給のように、運ゲーだということを受け入れ諦観しましょう。
マックのバイト一つをとっても、生まれる地域が異なるだけでこんなにも格差が開くのですから。
事実を変えることはできないので、ここで抗ってもしんどいだけだからです。
楽に生きるためには、なるべく事実には逆らわず、受け入れる心をもつことが肝心です。
自身の人生も受け入れる
人には、分相応な生き方があります。
ここでも高望みしてはいけません。
高望みすると人の人生に憧れ(隣の芝生は青く見える)、自分の道を見失ってしまいます。
なので、あるがままの自分の人生をまずは受け止めてください。
現状がただただクソで、クソな思考や行動をしてクソになっている自分を受け止め、受け入れるんです。
ここでも、たとえば
「ああすればもっと良くなってたのに」
とか、
「こんなはずじゃなかった」
みたいな後悔の念が浮かんでくるようであれば、まだ現状を受け止めきれていません。
現状でいいんだ、どのルートを選んでも大して変わらなかったんだと早めに諦め、現状に抗うことはやめにしてください。
なぜなら、抗うことはそのまま苦しみを意味するからです。心に葛藤が起こります。
そしてその苦しみから解放されるには、なるべく抵抗せず、素直に降伏することです。
現状を否定しても虚しくなったり、悲しみを増大させるだけで良いことありません。
今の人生は今の人生として、まずは受け入れることを意識してみてください。
クソな人生でも意味はある
とはいえ、クソだクソだと思ってるだけでは好転していかないですよね。
クソな人生でも、意味はあるはずです。
というか、無理矢理にでも意味を見出していくしかありません。
ただただクソなだけの映画を観ているのはつまらない
ひたすらストーリーもなくクソなだけの映画を見せられている時ほどつまらないものはないと思いませんか?
それと同じように、自分の人生も時にはクソでもその時の経験から○○できた、みたいに意味を見つけてみることは誰にでもできます。
あなたの人生には意味がないのではなく、意味を見つけられていないだけです。
起承転結で考えると分かりやすいですが、
嫌な出来事があった⇒絶対○○するもんかと決心した⇒結果的に、人生がこういう風に変わった
といったように、過去のエピソードから人生の意味を紡ぎ出すことです。
そしてエピソードが多いほど、意味のある人生になってきて楽しくなってきます。
意味が多いほど彩りがでてきて、オリジナルな人生を歩める
あなただけのオリジナルな人生を歩んでいけます。
出来事に対する意味づけがしっかりできていれば、一本の線のようにこれまでしてきた選択が思い出されます。
思い出を振り返りやすくなるので、忘れっぽい人にもおすすめですね。
ずっとクソなままだとは限らない
諸行無常の人生ですから、ずっとシンドイことが続くとも限りませんし、逆もしかりです。
現状がクソだからといって一生クソな状況が続くとは限りませんし、良いことも悪いことも出来事は平等に起こります。
ただし、出来事に対する解釈は人それぞれなので、まずはポジティブに解釈する練習をすることです。
縁起を意識することで孤独感が薄れる
確かに、生まれも容姿も運動神経も学力も、遺伝や生まれに左右されるので全く持って平等じゃないのが人生です。
しかし、人は誰かの支えによって生かされていることも忘れてはなりません。
縁起とは、
モノやコトは常にそれ単体で存在しているわけではなく、因縁(因果関係)によって形成されるということです。
たとえば、ただ生きているだけの人でも、
生まれた時には出生登録されていますし、
電気やガスなどのインフラ、家に住んだりしてますよね。
すべてのサービスには、関わっている人がいます。
要するに因果関係の中に自分も組み込まれているので孤独じゃないし、時には縁に感謝することも大切です。
袖すり合うも他生の縁というように、誰かの助けによって生かされているんですから。
それを意識しながら生活できると、孤独感が次第に薄れます。
社会的な価値と幸福度は比例しない
確かに、クソな人生を歩んでいると社会的には落第のような扱いを受けることもあるでしょう。
役立たずと家族に罵られてしまうかもしれません。
しかし、自分の価値は自分が認めてあげられれば、それ以上は求めなくてもいいものです。
社会的に他人からどう思われていようと、しっかり自分には価値があるんだと思えることが、幸福につながっていきます。
自分で自身の価値を認めてあげられれば最強
他の誰でもなく、自分の価値は自分で認めてあげることです。
誰かに依存した社会的価値は揺れ動いてしまいますが、自分で自分の価値を認めることができれば何があっても揺らぐことはありません。
もっと自分勝手に生きていい
思うに、一般的な人は何かに縛られすぎです。
自分ルールを適用できるところには適用していきませんか?
もちろん人を傷つけない範囲で。
家族などを持つと自由になれないのは分かりますが、独り身なら少しくらい身勝手に生きてもなんとかなります。
クソゲーだと思うなら特に、ルールに縛られるより自由を目指してください。
思考から自由に解放する
たとえ今が会社員として縛られていたとしても、頭の中では自由にいられます。
何にも縛られず、せめて思考だけでも自由であると強く決意をしたなら、今日からでも自分を解放してあげてください。
運ゲーだからこそ、運要素を楽しめるくらいの余裕をもつ
余裕がないと何かと追い詰められてしまうものです。
運要素を楽しめるくらいの余裕は確保しつつ、クソゲーを生き抜いてやろうではありませんか。
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ゲームのルールを書き換える
生まれなどの運ゲー要素は変えられませんが、変えられるところもあります。
上記でさんざん紹介してきた「思考」要素です。
さすがに学校や職場のルールは変えられませんし、犯罪を犯すのはNGですが、せめて脳内くらいは自由であるべきです。
自分ルールに書き換えて、なるべく楽して生きていけるようにカスタマイズしてみてください。